最近、死ぬことがとても怖い。

 初めて死を怖いと思ったのはいつ頃だろうか。おそらく5歳前後であったように思う。私の祖母は原爆の後遺症で若くして死んだそうで、その話をよく母がしていたせいかもしれない。あるいは、もっとストレートに「ママが死んだら悲しい?」といった言葉で母からからかわれていたような気もする。とにかく、「自分の存在が永遠ではなく、この肉体もいつかは朽ち果てる」という恐怖が、幼い私を常に苛んでいた。

 小学生の頃、両親は共働きで、20時くらいまでひとりでお留守番ということもざらであった。数ヶ月前まで保育園や幼稚園に通っていた子供(私は保育園にも幼稚園にも通っていた)には、ドラえもんクレヨンしんちゃんを一人で見ながら過ごすような時間はやはり寂しいもので、慣れないうちはネガティブなネガティブな方へ気持ちが行っていたのを覚えている。

 そんな時、ふと「死」について考えてしまい、気を紛らわせてくれる他人も家にはいないので、思考スパイラルから抜け出せなくなってしまった。どんどんどんどん怖くなり、幼い私は大声をあげて泣き出してしまった。泣いたからといって心配してくれる他人はいないので、誰かの気をひきたいといった理由で泣いた訳ではないと思う。いつか自分がいなくなるという恐怖に、ただただ耐えられなかった。

 誰かの気をひきたいわけではないと言ったが、敢えていうなら、もしかすると「神」の存在に希望を抱いていたのかもしれない。

 私の母は人生を通して様々な「神」を信仰していた。私の幼少期にも、母は「神」の存在をよく口にしており、幼い私はよくわからないながらも「神」がいるんだとなんとなく思っていた。「死」が怖くやって大泣きしていた時、脳裏にはうっすら「神」の影がちらついていたのかもしれない。これだけ助けを求めれば、「神」もなんらかの形で死後の世界を示してくれる、救いをしめしてくれるだろうと期待し、神を試していたのかもしれない。

 しかし、神は何もリアクションしてくれなかった。私は神は存在しないのだと思った。私は今でも人格神はいないと思っている。

 中学高校でも、やはり「いつか自分は死ぬ」という感覚が常にあり、ふとした瞬間にそれを思い出していた。しかし、私は一つの対策を発明した。「人類」である。自分が死に絶えても「人類」というものが存在しつづければ、なんとなく救われる、温かい気持ちになれる気がしていた。ある種のユートピアを夢想していたのかもしれない。

 高校の物理で、「エントロピーの増大」という概念を習った。簡単にいうと、「宇宙はどんどん秩序を失って、最終的には全部粒子になっちゃうよ」という話であったように思う(ちがったらごめんなさい)。とにかく、宇宙はいずれ活動をとめてしまうので、核戦争を回避しても、太陽系から抜け出しても、銀河系の外に行けても、最終的に人類は終わるのだ。あかんではないか(町田康)。

 しかし、だんだんと歳をとるにつれそんなことで悩むほど繊細ではなくなったし、悩む暇もなくなっていった。その日暮らしを繰り返し、生きるか死ぬかのような心境で毎日を過ごし、なんなら一回橋から飛び降りた。私は死の恐怖を克服した(?)。

 最近、また死の恐怖をリアルに感じるようになってきた。

 私は海水魚を飼っており、マメスナギンチャクというサンゴ的な生き物を飼育している。とても美しい。飼育して5年ほどになるが、いまだに美しさに息を飲むことがある。死んでしまったらこの美しさには触れられないのだな、と思い、感動すると同時に怖くなる。最近、親しくしてくれている女性がいる。しょーもないことでゲラゲラ笑っている時間がとても幸せだ。しかし、楽しければ楽しいほど「関係の終わり」について考えてしまう。「卒業」「付き合えない」「付き合えたとしてもフラれる」「付き合い続けたとしてもいつかは気持ちが離れる」といった、「いつかくる終わり」に思いを馳せてしまう。その究極にあるのは「死」だ。死んだらもう2度とけらけらくすくす笑い合うことはできない。寂しい。

 しかし、とここで思う。「死の恐怖」を感じる時、私には常に「失うもの」があった。母親や、自分や、人類や、マメスナギンチャク。それらのものに触れている間、逆説的に私は安らいでいた。ここ10年近く、あまり死の恐怖を感じていなかったのは、「失う物」が悪い意味でなかったのかもしれない。大切なものがないから、いつ死んでもいいような気持ちで生きていた。

 恋愛には至ることができないが、それでも大切に思っている存在ができ、良好な、そしておそらく尊重しあえる関係を築くことができていると思っている。

 私はこれを失うことが怖い。正直に認めよう。しかし、「守るべきものができた強み」や「やわらかい気持ちの裏返しとしての恐怖」だと思うと、実はよい方向に気持ちがいっているのかもしれない。

 「死」について考えないですむくらい、幸せが当たり前のものとなりますように。