僕はジェダイだ、かつて僕がそうであったように

 最近、「仲良くしている女性」ととても仲良くしている。もしかしたらお付き合いできるのかな、と期待してしまったりすることもある。

 楽しくおしゃべりをして、美味しいお菓子を分けあって、満ち足りた気持ちで過ごしたような夜は、寝る間際に不安になったりする。楽しければ楽しいほど、幸せであれば幸せであるほど、「失う瞬間」のことを考えてしまう。

 これまで、幾度となく「死」について考えてきた。死にたくてたまらないこともあれば、死が怖くてたまらないこともあった。それらの不安は、「得る」ことへの不安であった。何かを得ることが怖いので、それから逃れるために死のうとしたり、幸せが手に入りかけると、今度はそれを失うことを恐れて「最後」のことばかり考えてしまっていた。

 先日、とてもとても素直に愛情表現をして、とてもとても素直に受け取ってもらえた日があった。その日の夜は、寝入りばな「とてもいい日だった」と思いながら意識を失った。

 きっと、私はもう既に幸せを手に入れてしまっているのだ。彼女がおやつのスイートポテトを半分くれた日のことや、そのお礼にかぼちゃのケーキと牛乳を買って彼女を待っていた日のこと、お互いのしょーもない日常報告に笑ったり笑われたりする毎日のことを思うと、あたたかで、穏やかで、優しい気持ちでいっぱいになる。

 「得られるかわからない不安」と「失うかもしれない不安」の先にあるものは「離れたとしても失わない」という「信頼」であった。もしかしたら、多くの人はこれを当たり前にもっているのかもしれないし、得られない人は一生得られないのかもしれない。

 きっと、この先一緒にいつづけられたとしても、何かを失うことへの不安で落ち着かない日がくるだろう。もしかしたら学校を卒業したら会うことがなくなるかもしれない。しかし、一度芽生えた信頼は、簡単には消えないだろう。不安と信頼を行き来しながら、少しずつ少しずつ破滅の波は穏やかになっていくのだろうと思う。

 お付き合いができてもできなくても、信頼を教えてくれてありがとう、といつか伝えられる日が来るといいな。このブログも最後の記事になればいいな。