【小説】ペス

 雨が降る5月の午後、たばこ屋の軒先で、一匹の野良犬が雨宿りをしていました。野良犬は、何日もごはんを食べていなかったので、なにか残りものをもらえないかと思って商店街へやってきたのでした。しかし、ここ何日も雨が降りつづいていたため、客足が遠のき、どのお店もお休みをしています。

「ぐぅ」

と、いうお腹の音を聞きながら、野良犬はたばこ屋の軒先で丸まっていました。

 


 野良犬は、パン屋さんがたまにくれる食パンの耳や、お肉屋さんがたまにくれるコロッケの揚げかすや、喫茶店のマスターがたまにくれる余った野菜のサラダのことを考えていました。

「ぐう」

しかし、考えても考えてもお腹はいっぱいになりません。

 


「ビスケット、いる?」

 野良犬が顔をあげると、男の子がこちらを心配そうに覗き込んでいます。

「お腹がすいているの?」

男の子は続けます。

野良犬は、差し出されたビスケットを、遠慮がちに、しかし全部食べ切ってしまいました。

野良犬が、「ありがとう」と言う前に、

「よかったら、明日また遊んでよ。」

と言い、男の子は、手を振って雨の中を駆けてゆきました。

 


 次の日、たばこ屋の軒先で野良犬が待っていると、男の子は本当にやってきました。ふたりはビスケットを一緒に食べ、フリスビーで遊び、原っぱで寝っ転がりました。

「明日も遊ぼうね。」

男の子はそう言うと、手を振って駆けて行ってしまいました。

 


 それから、来る日も、来る日も、男の子と野良犬は一緒に遊びました。

 そんなある日のことです。ふたりがフリスビーで遊んだあと、一緒に寝っ転がっていると、男の子がおもむろにいいました。

「ねぇ、ペス」

このごろ、男の子は野良犬をそう呼びます。

「よかったら、うちで一緒に暮らそうよ」

 


 野良犬は、しっぽをちぎれんばかりにふって、そこらじゅうをはねまわり、大喜びしました。これからは、雨が降っても寒い思いをしなくてもいいし、お腹がすいてフラフラになることもないでしょう。でも、野良犬にとって、これからずっと男の子と一緒に過ごせる喜びに比べたら、そんなのは本当に些細な喜びに過ぎませんでした。

 


 ふたりは連れ立って男の子の家に帰り、ドアをあけ、「ただいま!」と叫びました。

 ふたりは、男の子のお父さんとお母さんが帰ってくるまで、一緒にテレビを見て、リンゴをかじり、追いかけっこをし、お風呂をプールにして遊びました。

 「キャッキャッキャッ」

ふたりは、これ以上ないほど愉快な気持ちで笑っていました。

 

「これはなあに?」

 そんなときです。お父さんとお母さんが帰ってきました。お父さんとお母さんは、ふたりが散らかしたあとを見て、カンカンに怒っています。

「こっちにきなさい」

 お父さんとお母さんは男の子を叱りつけ、野良犬を捨ててくるように言いました。男の子は困っています。ペスに、出ていってくれ、なんて言えるはずがありません。

 3人が言い争っているのをみて、ペスはとても苦しくなってしまいました。ペスはもうどうしたらいいのかわかりません。ペスは部屋を出ると、玄関に置きっぱなしにしていたフリスビーとビスケットを男の子の部屋に運び、ベッドの上にそっと置き、「ありがとう」とへたくそな字で書き置きをしました。ビスケットを一口齧ると、一度だけそっと部屋を振り返り、そのまま家から出ていってしまいました。

 


 野良犬は、そのままあちこちを旅しました。

「君は誰だい?」

行く先々でそう聞かれるたび、野良犬は

「僕の名前は、ペスです」

と、胸を張って答え、堂々と前を向いて歩いてゆきました。