【小説】海

「ザブーンザブーン」

ゆうたは、生まれてはじめて海を見ました。山で育ったゆうたは海を見たことがなかったので、お父さんとお母さんに頼んで海に連れてきてもらったのでした。

海は、とても大きいものでした。ゆうたの想像の何倍も何十倍も大きいものでした。

 あまりの大きさに、ゆうたは怖くなってしまいました。遠くでカモメが鳴く声がします。泊めてある船がギイギイきしんでいます。

「ザブーンザブーン」

 秋の気配が降りてきている8月の砂浜には、ゆうたと、お父さんとお母さん以外には誰もいません。

 あまりの寂しさに、ゆうたは怖くなってしまいました。

ゆうたは帰りたくなってしまいましたが、わざわざ連れてきてくれたお父さんとお母さんの気持ちを考えたら、帰りたいと言うことはできませんでした。

 ゆうたは、精一杯海を楽しみにました。ヤドカリを探したり、砂遊びをしたり、海に足を浸けたりしました。それでも、心は海の向こうのことを考えていました。

 きしんだ笑顔を作りながら、ゆうたは必死に涙を堪えていました。

 

「ゆうた、帰るぞ」

 お父さんのその言葉に、ゆうたはホッとして車に乗り込みました。

 しかし、いつも座っている後部座席は、知らない席に見えました。高速道路を降りて、毎日学校へ通う道へ差し掛かりましたが、どこか知らない場所に思えます。家に帰っても、なんだか他人の家のような気がしました。

 ゆうたは、「帰りたい」と思いました。家にいるはずなのに、不思議です。

「ザブーンザブーン」

  海に行ってからしばらくは、ゆうたの耳には波が押し寄せる音が鳴り響いていました。