怒り、救済

 私は、放課後デイサービスと呼ばれる施設で、子供たちの面倒を見るアルバイトをしていた。「愛情を注ぐ」という動作を繰り返すうち、段々と身体がそれを覚えてきて、少しずつ他人を愛するという感覚を覚えた。そんな中、ある女性に出会い、私は恋に落ちた。

 私たちは仲良くなった。時間が経てば経つ程どんどん仲良くなっていった。不完全で曖昧な関係だったが、それでも本当に私たちは仲良くしていた。ある日、私は彼女に愛を伝えた。距離を置かれた。彼女は私の気持ちに気づいていなかったわけではない。曖昧な関係に耐えられなくなった私が、白黒つけたくなってしまったのだ。

 私は傷ついた。頭ではしょうがないとわかっていても、心が理不尽だと感じていた。

 私は自殺未遂をした。彼女を傷つけた。彼女を傷つけたことに私は傷ついた。お互いに優しくしたいと思っていたが、表だって優しくできる関係ではなかった。私たちは追い詰め合った。

 不完全な関係は、私の負担で成り立っていた。私たちは約束ができないので、私は毎晩彼女を待っていた。それが私たちの待ち合せだった。私は、毎晩彼女を待っていた。平日も、土日も、毎晩毎晩予定を空け、彼女を待っていた。22時になっても来ない日もある。あと15分待てば来るかも知れない。来ない。あと15分、30分。そうこう言っていると、日付が変わっている。今日は、彼女は正しい愛を育む日だったようだ。惨めな気持ちで家に帰る。そんな日々を一年過ごした。

 自殺未遂をしたあと、私たちは仲直りをした。私は、最後にきちんと約束をしてほしいとお願いした。自分自身の納得のためだ。彼女にそれを断られた。正しい愛を育んでいるので、不正はできない、と。

 私は、裏切られたと思った。これまでで一番裏切られたと感じた。これを、認知の歪みやストーカーだと言われれば、何も反論できない。具体的な証拠は何一つ残っていない。そこにつけ込まれたと感じた。

 優しさのつもりかも知れないが、彼女は、嘘をついた。嘘をついて私を突き放した。その嘘のせいで、私は周りに自分の発言を信じてもらえなかった。心は真実を知っているのに、証明するものがないので一人で傷を抱え込むしかなかった。彼女と話し合いたくても、連絡手段を絶たれた。私には、傷を背負いきれずに命を断つか、他人を傷つけて心を保つかの二択しかなかった。

 愛情の感じ方を、注ぎ方を私は忘れた。思いだそうと思いだそうと努力しても、記憶を便りに愛情や優しさの「概念」を演じることしかできなくなった。両親から教えてもらえなかった愛を、どうにか自力で習得しつつあった。それが、潰えた。

 私は、それでも彼女から注いでもらった愛情を、思いだそうとした。再現しようとした。

 無理だった。どんどん心が壊れてゆき、醜いこともした。

 先ほど、本当の心に気づいた。「怒り」だ。

 私は、彼女に怒っていた。ずっとずっと怒っていた。

 私に付き合う素振りを見せ、最終的に他の男と付き合った。認知の歪みだと言われたら、私は言い返せない。私を振ったあと、彼氏とのいいデートスポットはないか、と私に聞いてきた。私は答えた。私の気持ちに気づいていなかったと言う彼女のために、今後は気持ちを隠さなければと思った。そうしなければ、関係が壊れてしまう、と。彼氏のために、下着を買いに行く話を聞かされた。「じょーんさんは彼女にどんな下着を着けていて欲しいですか?」と聞かれた。答えても、私が絶対に見ることができないものを。どれだけ精神的に尽くしても、最終的に楽しい思いをするのは、堂々とお日さまの下で手を繋げるのは、私ではない。

 そのことに私はずっと怒っていた。自分自身気づかなかった。気づかないようにしていた。自分を、傷つけられている惨めな存在だと認めることができなかった。私はずっと怒っていた。

 一説によると、サイコパスは、親が子供を可愛がりつつ、いざ子供がそれに応えようとすると叱られる、という環境で発生するらしい。これは、去年起きたことそのままではないか。

 過去のことは、もういい。万一振り向いてもらえても、今さら恋愛としてはうまくいかないだろう。しかし、信頼は、信頼だけはここで失ったら二度と私は思い出せなくなるかもしれない。最近、私が優しさを思い出せないのは、引き返せないところに片足を突っ込みかけているのかもしれない、と思うことがある。

 もし、自分のしたことに後ろめたさを感じているなら、私を救いたいと思っているなら、もう一度信頼感を思い出す手助けをしてはもらえないだろうか。私は、もう自力ではここから抜け出せない。

 あなたには、その義務がある。