サンタ感 ver.0.02

 初期の記事は比喩や表現がぬるいな、と読み返して思うので、書き直していきたいです。

 

 

 幼少期、私のところにサンタクロースがやってきた。

 幼い私はプレゼントを貰えて嬉しかった反面、おじいさんが身銭を切ってプレゼントを買い、寒空の下世界中の子供たちに配って回っているところを想像して悲しくなってしまった。あたたかくしてね、とか、ゆっくり休んでいいんだよ、というようなことを思ってしまい、罪悪感と、庇護欲と、悲しさがないまぜになったような泣きたいような笑いたいような気持ちになった。この感覚をサンタ感と私は呼んでいる。

おそらく、私にとって愛とは一回一回の行為であって状態ではないので、愛されると居心地の悪さや罪悪感を覚えてしまい、「早く終わってくれ」と耐えられなくなってしまうのだ。私は、別れを伴う悲しい愛しか知らないので、愛し方も離別の形でしか表せないのであろう。

好意を寄せている女性と交換日記をしていた。そこまで頻繁にやり取りをしていたわけではないが、いつ返事が来るかわからないそわそわ感や、自分たちだけが知っている秘密のようなものがよい刺激になっていた。

最後の最後、交換日記に愛をしたため、プレゼントと、彼女が好きなガルボ(お菓子)のいちご味を添えて日記の隠し場所に置き、私は去ろうとした。自分としては、不完全な関係なりに綺麗な終わり方だと思ったし、この行為によってお互いに笑ってさよならを言えると思った。しかし、偶然すれ違ったときに彼女はとても悲しそうな顔をしており、挨拶すらしてくれなかった。

私は罪悪感に襲われた、彼女を傷つけてしまったこと、それも私なりの優しさで彼女を傷つけてしまったことに私は傷ついた。彼女を求めても困らせてしまうし、優しく去っても傷つけてしまう。どうしていいのかわからなくなった。

 本当の家族だったらよかったのに、あるいはすんなり恋人になれたらよかったのに。最初から離れる運命なのに、しっかり愛を育んでしまったので、誰かが傷つかねばならなくなった。トロッコ問題である。

反乱者たちも、カメレオンズ・リップも、今思えば離別の愛の話である。そんな究極の選択をせずとも、皆が幸せになれる愛に触れてみたい。毎日小さな優しさを与えあえる関係が欲しい。私はとてもさみしい。