【小説】夢十夜(オリジナル)

夏目漱石の『夢十夜』についての授業を受けているのだが、「自分で夢十夜を書け」という課題が学期末にあるらしく、そのことについて考えていたらストーリーが浮かんできたのであげてみる。(提出するかはわからない)

 

 

 

 

 

 

こんな夢を見た。

 からりと晴れ渡った夏の夜、地域の神社で祭りが開かれていた。小百合おばさんの家に預けられていた私は、迎えに来た母と一緒にその横を通った。

「りんご飴が食べたい」私がそう言うと、

母は「ちょっと待ってなさい」と、飴屋のほうへ行き、

「これはりんごの替えになりますか。」と、身に着けていた耳飾りを差し出した。

飴屋はそれをちらと見、無言で受け取ると真っ赤で光沢を帯びたりんご飴を渡した。

私は飴を齧りながら、あたりをきょろきょろと見まわしていた。色とりどりの浴衣が出店の灯りに照らされて、小百合おばさんの家の庭で、水色やら薄紫やらの朝顔で色水を作ったことを思い出した。

そのことを母に話すと、母は「へぇ」と言い、「とうもろこしは食べるかい。」と尋ねた。

りんごを食べ終わってなかったので、「要らない」と答えたが、母は「小さいうちは食べなきゃいけないよ」と言い、烏賊やらなんやらを焼いている屋台へ向かった。

「とうもろこしはお幾らですか。」母が尋ねると、

「いい羽織だね」と烏賊屋の女将さんが言った。「その羽織とならとうもろこしを替えてやらんでもない。」とにやにやしていた。

母は「子供にとうもろこしを食わせねばならない。」と言い羽織を脱いだ。

通りを進むうち、私の元には飴やら、とうもろこしやら、かき氷やら、水風船やらが持ちきれないほどに集まった。一方、母は手持ちのハンカチやら鞄やら靴やらをくれて遣っているので、いよいよ麻のワンピースより身に着けているものが無くなった。

神社に一番近い、出店がひしめき合っているような辻に出ると、枯れることのない向日葵でできた髪飾りやら、七色に輝く雲母のビードロやらが売ってある一角があった。

その中に、小鳥を売っている店があり、ひよこやら文鳥やらがぴいぴいいっている。古今東西のすべての鳥を扱っているという張り紙がしてあり、世界を作った神の肩に止まっていたものだという真っ白なからすが、大きな籠に入れられていた。

私は、そのからすをどうしても触ってみたくなった。

「おかあさん、あのからすを触ってみたい」と言うと、

母は「もう鳥屋さんに払うものがないんだよ」と悲しそうに答えた。

私は、あのからすに触れぬことにはこの先幸せになることはないだろうと思い、それが堪らなく悲しく思えてしくしくと泣き出してしまった。

母は、「風船を買って遣ったじゃないか」とか、「氷が溶けてしまうよ」とか私を宥めているが、そんなことはどうでもよく思われて、私はただただ悲しみに身を委ねるまま涙を流し続けた。

「じゃあ」と母は言い、「どうにかして貰えないか頼んでみるよ」と鳥屋の主人と話し始めた。

結局、鳥屋のおじさんはからすを触らせてくれたが、その代金を稼ぐために母は炭鉱で石炭を掘りにいかねばならなくなったらしい。その間、私は金糸雀に変えられ鳥屋の籠の中で待たなければならないそうである。私のせいで石炭を掘っている母のことを思うとたまならく悲しくなったが、なぜか少しだけ嬉しいような心地もして、その気持ちは金糸雀としての私にとてもよい歌を歌わせた。