続・失恋の優しさ

 以前、失恋の感覚が好きだ、という話をした。それが自分の中で深化した感覚があるのでもう少し言語化してみたい。

 

 私は、あまり音楽の善し悪しがわからない。周りの音楽をやっている人間から勧められた曲・アーティストを聞いたりはするが、大体が「なんとなくいいな」くらいで終わってしまう。それでも、感度が鋭くなっているときに音楽を聞くと、溢れる感情に心が耐えられなくなりそうになることもある。

 

 最近、銀杏BOYZを聞いている。「好きなあの娘とソフトクリームを食べたい」みたいな「キモいくらい必死な片思い」的な曲は正直あまり刺さらないのだが、「漂流教室」は「ちゃんと気持ちが通じ合っている」感じがして、何度も聞いては心を壊しそうになっている。

 

 おそらく、「友人」の「悼み」をテーマにしているであろうこの曲から、私はなんとなく失恋の匂いを感じてしまう。誰かを失って、その人の大切さに心の底から気づいてはじめてその人と本当に分かり合えるのかもしれない。その喪失と獲得のプロセスを、人は「悼み」や「弔い」と呼ぶのだろう。

 

 去年、日記をつけていた。ここしばらくサボっていたなぁ、と思い、久々に書こうかな、と手に取ったら、「大切な人」との思い出がぎっしり詰まっていた。一緒に楽しく過ごす喜びから、「何もせずに、あるいは無理やりやることをひねり出しながら過ごす夜は惨めになる」といった恨み節のような一節まであったが、それらすべてが大切な思い出で、記憶だけでなく気持ちのディデールまでまざまざと思い出してしまい、まるで2022年の夏に戻ったかのような気分になった。

 

  Twitter銀杏BOYZのボーカル、峯田和伸のブログの一節が回ってきた。

 

    僕は思うんだ。本当の芸術というのは、音楽にしたって映画にしたって文章にしたって演芸にしたってなんにしたって、

    ドアが開かぬまま
    あなたに会いに行ける魔法だって。

 

 多分、私は、今まで出会った大切な人たちとは、喪失を経ることによっていつでも再会できるようになっているのだ。