健全な魂

 「仲良くしている女性」が、健全な魂になりたい、と言っていたことがある。ニュアンスとしてはわかったが、全く同じものを共有できているかはよくわからなかった。

 最近、プライドをなくす方法について友人と話した。方法についてはおいていおくが、結論として、等身大のプライドを身に着けたいね、というところで話は落ち着いた。

 その夜眠りにつきながらふと気が付いた。健全な魂とは等身大のプライドのことそのものではないか、と。

 仲良くしている女性が、「昔弱っていた時に相談をしたら、優しく頭を撫でて貰えたのが嬉しかった」という話をしてくれた。喧嘩をした際、「じょーんさんの優しさに甘えてしまっていました」と泣きながら電話をかけてくれた。きっと、心細いときや辛いときにそっと寄り添って肯定してくれる温もりに、そして間違ったことをしたら横っ面を思いっきり張り倒してくれる厳しさに、等身大のプライドは、健全な魂は育まれるのではないだろうか。

 私は自分たちの関係をどう形容したらいいのか未だによくわからない。恋のようで友情のようで家族のような、謎の一体感があった。喧嘩をして終わってしまったのが非常に残念だ。それでもお互いがお互いにとって安心できる場を提供できていたのならいいな、と思う。お互いを大切にし、叱ることができていたのならいいな、と思う。

 

 もしももう会うことがなかったとしても、お互いの言葉で、行動で、魂を健全にする手助けができていたらいいな。

 

 この気持ちが執着ではなくなって、純粋な愛になる日が1日でもはやく来ますように。