ヘレンケラーのウォーター、フリフリなトランスジェンダー

 何度も書いたが、私はアルバイトで子供たちの面倒を見ている。その中でたまにいるのが、「お姫様扱い」「ペット可愛がり」を家でされている子供だ。そのような子供は「聞き分け」がなく、少しでも思い通りにいかないことがあると癇癪を起こしたり、泣き喚いたりする。コミュニケーションにおいても一方通行で、向こうの話は延々と聞かされるが、こちらの投げるボールを拾おうという姿勢を見せてくれない(拾うという発想がそもそもない)。他の子供とも当然コミュニケーションにおいてトラブルを起こし、些細なことで大きな喧嘩に発展したりする。仲裁をしようにも、双方の意思を共有できないので、「お兄ちゃん」の子が一方的に我慢する形になりがちだ。

 私はこのアルバイトを始めて日が浅く、接し方や関係性の作り方など未だ模索中なのだが、ひとつだけ働く上で心がけていることがあって、注意したり叱ったりする際には叱る内容が「法」としてその子供の身に染み込むよう意識して話しかける、というものがある。たとえば、「〇〇をやってはいけない」ということを伝えたいときに、「〜〜だから、××をしなければならない」という伝え方をする職員もいるのだが、子供というのは(大人もだが)、理屈でわかっていることと行動とが結びがなかいことが多々ある。「ダメ」なことをやっていたら「叱」り、「よい」ことをしていたら褒める。私はその繰り返しで「善悪」(正確には善悪という法がこの世には存在する)ということに気づけるようサポートをしているつもりだ。当然、私が考える「善」と、世間での「善」は違っているので、個人的に信じる正しさと世渡り的な正しさのどちらを伝えるのがその子のためか、あるいはその子の認識のレベルに応じた伝え方はどうしたらよいか、と言ったことで悩むことはあるが。

 件の我儘girl and boyは、他の職員含め「叱る」ことをメインに接していたのだが、確実に「聞き分け」がよくなった。それは明らかに「従順さ」や「〇〇はやったよい、××はやってはダメだ」といった「ルールの暗記」ではない。思い通りにならない「他者」というものにぶつかって、世界に「秩序」が生まれはじめたのだと思う。

 印象的だったのは、「ごっこ遊び」をしていて、設定をどんどん変えていく子だ。最初ハンバーガー屋さんだったのが、その場のノリでバスの運転手になり、握っていたハンドルは次の瞬間スマホになった。とにかく話していることに「ウソ」でも一貫性がない。それを見ていてこの記事を思いついたのだが、おそらく、その子の中でハンバーガー屋もバスの運転手もスマホで電話する会社員もその瞬間は「本当」なのだろう。しかし、それらがひとつなぎの存在として自分の中にはなく、「欲求」や「衝動」のようなものだけがその子を形作っているように見えた。

 私は、いわゆるセクシャルマイノリティに属してはいるが、セクシャリティが(特にトランスジェンダーが)マイノリティ間でも問題となるのは「セクシュアリティの法」がその身に書き込まれる機会がなく、「秩序」を持てない場合があるからではないかと、いち無法者Xジェンダーとして感じる。