ニーチェすこすこ同好会

 私は、自分を大まかに右翼左翼で分けると、左翼であると認識している。核兵器はなくなって欲しいし、あらゆる差別は消えて欲しい。だが一方で、左寄りの人たちと馴染めるかというと,、そうでもない。

 彼らは、群れている。群れている左翼は、群れること自体が目的と化している。反原発を訴えるために、集い、共鳴し、満足する。反原発は反人種差別やフェミニズム反自民や、その他なんでも任意の概念に置き換えられる。

 そうなると、崇高であったはずの目的は、腐敗してしまう。自分が何に怒っているのか忘れ、何を考えていたのか忘れ、他人に「正義を決めてもらって」いる。

 私は、「頭がいい」と言われる。それは、IQなどの話ではない。以前、私を「頭がいい」と評してくれた友人は、「他人に同調せずに、自分に正直であることができるところが、頭がいい」と言ってくれた。

 私のことを、「心が綺麗」「誰にでも分け隔てないところが素敵」だと言ってくれた人がいた。これは、もし本当にそうだとしたら、「頭がいい」からできることであろう。他人の価値を、周囲の人間に決めてもらうのではなく、自分の心や信念に従って判断する。それが、私の長所らしい。

 私は、心の中の正しさに正直である人に、損得や周囲の評価などに流されず、軸を持って判断できる頭のいい人になりたい。